壊れていく食事の時間
以前は気になっていて いつからか気にならなくなったものがある。
コンビニの前で アスファルトに座っておにぎりを食べる中高生。
ファミレスで 我が家のように駆けずり回る小さな子供
牛丼屋で大声で文句を言う 中年のおじさん
おそらく あまりにも目につきすぎて慣れてしまった。
「食事は きちんと椅子に座って食べなさい」
「立って たべるなんてみっともない」
「お店の人に 悪いでしょう」
子供のころ 母親によく言われた言葉たち。
我が家はそうではなかったが、友人の家なんかは父親が帰ってくるまでは箸ももてなかった。
きちんと「いただきます」を言い 終われば「ごちそうさま」と言う
当たり前のことがなくなり、子供たちは「ひとり」で食事をして
父親も遅い帰宅で「ひとり」で食べる。
昭和の子供はいい服を着て「おでかけ」してデパートのレストランで食事をするのが楽しみだった。今は外食も頻繁になり(日本経済を実は支えている産業だが)回転ずし
うどんチェーン ラーメン店 イタリアンレストランチェーン とんかつ屋 少し車を走らせば 地方の小さな町でも結構店を見つけることができる。
コンビニもいたることころにあり お金さえあれば食べることに苦労することはないだろう。
便利さと引き換えにしたのは きちんとした時間を失くしたこと。
食卓を囲み 今日あったことを話す。もちろん楽しい話題ばかりではなく、学校であったこと、先生に怒られたこと、子供は緩やかに子供としての自覚を持ち、親は緩やかに親としての自覚を持っていく。
食事の時間が崩れたことで たいせつな「こころ」が分からなくなってきた現代。
かろうじて「家族」をつなげているのはひょっとしたら「演技」かもしれない。
日本人は豊かになり 便利さを手に入れたが、同時にこころの豊かさはどんどん
失っているような気がする。
「もったいない」よりは「みっともない」という気持ちを大切にした方が良いんじゃないかそんな風に思う今日この頃・・・・